慶應義塾大学アート・センター「土方巽アーカイヴ」森下 隆氏より
ワカバコーヒー「喫人舞踏会」
ワカバコーヒーが制作する公演「喫人舞踏会」を見ました(高架下空き倉庫、6月1日)。
この日の公演後のトークには私も参加する機会を得たので気になったことを書き留めておきます。
ワカバコーヒーの公演は、会場をJR中央線の高架下(高円寺)で3回続けて実施されてきました。私もこの3度の公演を見てきましたが、何より主宰の若羽幸平さんのチャレンジングな演出は注目です。
若羽幸平さんがレンジの長いプロジェクトとして捉えているかどうかは不明ですが、特に舞踏界に関わっての積極的な試みがどう生きているかは、毎回楽しみになっています。
この日の公演の感想を少し述べるに当たって、というよりこの機会に、私が取り巻かれている状況を少し述べておきます。少し長いので飛ばし読みしてください。
私自身はこの四半世紀にわたり土方巽アーカイヴ(慶應義塾大学アート・センター)の創設からその設計、運営を担当してきました。それだけに、舞踏を見たり舞踏を考えるにあたっては、土方巽が創始し展開してきた舞踏を核にして、あるいはその舞踏を軸にして舞踏を見てきました。
とはいえ、私自身が踊り手ではないので、舞踏という踊りそのものを築く作業ではなく、舞踏を囲繞するさまざまな活動にこだわって見てきました。
先日のトークでも述べましたが、舞踏について考えると、たえず「舞踏とは何か」という問いに逢着し、固着することになります。大きく舞踏を考えるにあたっても、個々の舞踏作品を見るに当たっても、さらには舞踏の枠外にあるパフォーマンスに接するに当たってもそうです。
トークでも紹介しましたが、こんなことも書いてきました。
「舞踏の一年をどうまとめるかは、年々むずかしくなってきた。舞踏が希薄化しているのではという懸念が強くなりつつあると思われ、加えて舞踏家自身が試行錯誤のはざまでもがいているかのようにも思われるからだ。両者は混然となっているのだが、根は同じというべきかもしれない。/とはいえ、舞踏をめぐる活動が停滞しているとも言えない。(中略)舞踏はそこかしこで吹き上がる準備をしているかのようでもある」(「舞踏回顧2024」、『舞踏年鑑2024』)
舞踏を取り巻く世界が混然ともし、見方によっては分断もあるなかで、やはり「舞踏とは何か」です。
もう一つ引用しておきます。
「表現を捨て、技術を超えて、舞踏はあるのだろうか。光と闇、生と死、肉体と精神、意味と無意味。そのはざまにあって、自らの存在に錨を下ろして、土方が創造した舞踏に向き合うほかない。(中略)没後三十六年。私たちはいまだに「舞踏とは」と問い続けている」(正朔『舞踏馬鹿』書評)。
こちらは3年前に新聞に寄せた文章です。「舞踏とは何か」というしち面倒くさいことを考えずに、ダンスを楽しめばいいのですが、昨今はそうもいかないのです。踊り手に気負いがあるのか、見る側が構えているのか。
かつて、といっても、もう50年も前のことですが、私も土方巽の公演を見て大いに楽しんでいたのです。アスベスト館の小さな劇場でそれは見事に磨き上げた踊り、踊りだけではなく、照明も衣装も美術もそうですが、凝りに凝った踊りを提供していたのです。土方だけではなく、大駱駝艦あるいはそこから派生したグループの踊りも楽しんだものです。当時は、舞踏と言っても、ほぼこの二派の踊りしかなかったのです。
今や、観客数はともかく多種多様な舞踏があり、私にとっては近しいその周辺の踊りを含めれば、実に豊穣なるダンス界というわけで、それだけ楽しめばいいのでしょうか。
ともかくも、ワカバ作品です。楽しい作品になるのか、「舞踏とは何か」を自問することになるのか。ともかく「喫人」も読めなかったのですが、「キーレ」ということです。
何と、ゲストダンサーとして、伊藤キムさん、点滅さん、石井則仁さんという、舞踏家、あるいは舞踏に近いダンサーが招かれ出演するというのです。
高架下で見た最初の公演では、御大の吉本大輔さんがゲストで出演し、大いに楽しませていただきました。私の漠然とした予想では、吉本大輔さんが出演するシーンを特別に用意して作品を構成するかなと思っていたら、そうではなくて、吉本さんが随所に登場し、作品の展開で大きな役割を果たしていたのです。言葉は悪いですが、若い若羽さんが大人吉本さんを使い回したという印象でした。それが、見事に当たったのです。
それだけに、はたして今回も若羽さんがどう仕掛けてくるのかと期待大でした。
そもそも、伊藤キムさん、点滅さん、石井則仁さんの3人のダンサーを同時にオファーする意図が見えないのですから、作品がどのようになるのかは全く未知数であったのです。
点滅さんはアスベスト館出身ということもあり、長い付き合いです。最初のロシアツアーにも参加していただきました。点滅さんの公演、それは舞踏にこだわらず演劇に接近したというか、舞踏に演劇を取り込む大胆な手法での作品で人気を集め観客動員にも成功したと言えるでしょう。欠かさず見てきました。
伊藤キムさんは近年、舞踏に回帰するような宣言や活動もあり、注目して公演を見てきました。キムさんの公演は必ずしも作品としては舞踏とは言いがたいものですが、出演するダンサーが多く、そのダンサーたちは舞踏の訓練を受けていないので、一気に「舞踏」とはならないでしょう。もっとも演出のおもしろさは十分にうかがえます。ぜひ舞踏へのチャレンジも続けてほしいところです。
キムさんの踊りを最初に見たのがいつかは記憶にはないですが、慶應大学に乱入してきた現場に私もいたので、このハプニングには驚かされました。乱入とはいえ、実にスマートな印象でした。
石井さんの踊りは初めて見ました。山海塾の世界ツアーでの日本公演は全てを見ておらず、3回に一回でしょうか。そうなると、舞台上の石井さんを実際には見ているのですが、山海塾の舞台では舞踏手を特定して見てはいませんでした。
山海塾自体は1970年代から見てきているのですから、山海塾を見る歴史は長いです。ある時期からはフランスの舞踏として観覧するようになったのです。そういうこともあって、今回は石井さんの踊りを間近で見ることができる機会ということで楽しみでした、
意外な始まりでした。キムさんが立派な衣装を着て登場し、狂言回しとして他のダンサーを舞台に招き入れることから始まった。軽口を叩きながらの演技は達者で、何が始まるのかと興味を掴まれました。
今回の舞踏手一人ひとりを知る観客はそれほどでもないはずで、それだけに各舞踏手の紹介でもあったのでしょう。
それにしても、会場の舞台空間は広くはないのですが、プレセニアではなくオープン形式でタッパはあるので、その仮設のスペースをどう生かせるかどうかです。窮屈な印象はないにしろ、雑駁な空間であるには違いないので、諸刃の剣です。今回はどうだったかです。
女性陣は紹介してはいませんが、グループの川村真奈さん、そしてゲスト出演の細川麻実子さん、山之口理香さんと実に達者なダンサーたちです。舞踏家ではないダンサーがどう舞踏家にからむかは、これはもう演出次第です。
作品は舞踏ではないので、私には評するクライテリアがないので、印象になりますが、ダンスの高みはあっても、舞踏の尾を捕まえ捻ってはいない憾みが残るのです。例えば、点滅さんを巻き込む踊りは不満です。私のみならず、点滅ファンはどうだったか訊いてみたいところでした。
例えば、点滅さんが自身の舞台で演じる踊り、あの音楽や照明で高揚感たっぷりに踊るシーンを作り、突然暗転にしてほかのダンサーが絡む演出のシーンが続いたらどうだろう。パロディーではなくて、文学でいうパスティーシュの手法で、点滅さん本人も演出できない踊りを生み出すことができないだろうか。欲張ってみました。
一方で、コンテンポラリーのダンサーに舞踏家になってとは言わないまでも、テンポラリーであっても本格的に舞踏を苦労して学んでもらえば一皮向けての、驚きの楽しい仕上がりになるやもしれません。
さて、作品ですが、後半から終盤に向かって、引き絞られ俄然おもしろくなっていきました。さすがに、ダンサーたちは揃って巧者です。
私は背面の踊りが好きなのですが、広くはない空間に舞踏家たちの背面を見せての踊りが躍動して強烈な「叫び」を生んでいました。
そして、フィナーレに向かう女性ダンサーたちが揃ってのシーンも見応えがありました。さまざまな色彩の衣装で踊りながら、その衣装を変化させていく演出です。激しい動きとともに展開していくので、いまだに衣装にどういった仕掛け施されていたのかよく分からないままですが、印象に残ります。この振付けをさらに膨らませて、衣裳の変容とともに踊りが変化して、両者がまさにフュージョンするような演出は期待できます。
総括しがたいというか、私の記述が曖昧で不確かではあるのですが、若羽さんの意図を探りつつまとめておきましょう。
キムさんが「セクハラ、パワハラ、ヤケノハラ」と言って、これば舞踏のポリシーだとして登場してきました。トークの場で、私は若羽さんに「冗談ですよ」と忠告されたが、もちろんそれも承知ですが、この韻を踏んでの言葉のおもしろさがあり、私は特に「ヤケノハラ」に反応したことは確かです。
土方巽にとって、東京の「焼け野原」は希望にほかならなかったのです。土方巽が上京して初めて住むことになったのは高輪ですが、その高輪の高台から白金や麻布地域の焼け野原を遠望していたのです。
土方巽はしかし、高輪からは追い出され、いつしか焼け野原に生まれた古川沿いのドヤ街の簡易宿泊所に住まうことになります。近隣の人たちも忌避するドヤ街でのこの時期の暮らしこそが、舞踏の原点といっていいでしょう。
こうして、ある日は麻布から東中野のスタジオに出向きジャズダンスを身につけ、またある日は下谷万年町の「おかま長屋」に出かけて目を開いたのです。結局、ダンススタジオで習得した踊りに背を向けて、「おかま長屋」を」経由して、舞踏の最初の作品と言われる「禁色」に至るのです。
プロデュース公演は限られた時間での制作だけに互いのダンスへの取り組みが、うまく浸透するかどうかむずかしいところです。
トークで、若羽さんが公演中に声を発するのをキムさんが疑問視していたのも興味深いものでした。大駱駝艦の公演では、舞踏手の動きの展開を揃えるためのキューとなる声を発しています。アスベスト館の公演でも、この合図の声はありました。
キムさんの公演では、ダンサーたちの動きが早くてキューを出すきっかけも取れないのではと思われます。
このことは、ダンスの形式が異なるためだからというだけではなく、ダンスのあり方、特に群舞における見せ方が大きく異なるはずです。また、考え方によっては、主に空間に規定されている踊りなのか、時間に制約されている踊りなのかが違うのかもしれません。ともあれ、こういった齟齬がそれぞれの踊りについて考えるきっかけになるはずです。
いずれにしても若羽さんのチャレンジをさらに期待したいところです。仮に当該の公演では十分には生かされなかったことが、その後の作品構成や踊りに生きてくるはずです。
私はつまりは土方巽に戻って考えるのですが、土方巽が大野一雄先生や中嶋夏さんの作品の演出・振付を行ったことが、その後の大野一雄先生と中嶋夏さんの海外公演が成功した要因になっていると思われます。
当時もその後も、批評家は土方巽と大野一雄先生の踊りが対照的だとしてきました。本当のそうなのか。また、中嶋夏さん自身も後々まで、土方巽のメソッドに疑問をもちながら土方巽からもらったものを大事にしていたのです。余談を費やしましたが、若羽さんが試行錯誤しつつ実行しているこのが、その後の活動に生きてくる成果を見届けたいと願っています。
舞踊批評家 北里 義之氏より
5月31日(土)高円寺高架下空き倉庫にて、ワカバコーヒー/若羽幸平(ex.大駱駝艦)さんの声かけで石井則仁(山海塾)、伊藤キム(ex.輝く未来、GERO)、点滅(ex.B機関)ら多士済々の舞踏家のみなさんが一堂に会し、川村真奈、細川麻実子、山之口里香子らコンテンポラリーダンスの女性ダンサーのみなさんとひとつの作品を作りあげるというドリームプロジェクト『喫人舞踏会』(ちーれんぶとうかい)を観劇。
公演を主催されたワカバコーヒー(若羽/川村)のおふたりは、舞踏とコンテンポラリーダンスを合体した異色作品『なにものにもなれなかったものたちへ』(初演:2019年)でその存在を強烈に印象づけたデュオですが、異質な身体性を持ち寄るという方向性を拡大して、舞踏家を横にネットワークするという新たな方向性を打ち出されました。これを“運動体”と呼ぶには時期尚早でしょうが、通常舞踏の修練が個の身体性をタテにイメージして、「身体の底まで梯子をかけて降りていく」というように表現されるのに対して、身体の異質性を横にも求め、(モダンダンスの方法によらない)舞踏における集団性を再構築しようとされている点で画期的な試みになっています。大駱駝艦と山海塾の共演などこれまで誰が発想したでしょうか。
参加された舞踏家のみなさんが、演劇的であるとダンス的であるとを問わず、いずれもカンパニーにおける集団表現に深い経験を積みあげてこられたことが、本公演の成立と無関係であるとは思えません。ひとつのステージにおけるソロ舞踏の林立状態が解消され、舞踏ならではの手法による群舞がさらにコンテンポラリーに接続されていくという刺激的な内容になっていました。
コンテの領域では川村真奈さんが軸になっていましたが、もうひとり、日頃から動きのノイズ性に魅了され、即興演奏家とのセッションを数多くこなされている細川麻実子さんが、ノイズの塊であるような舞踏の身体に魅かれないはずはなく、舞踏の真似事をネタとしてやることはしないと決めながらも、その場にあって身体がどんどん舞踏的な応答をみせていく──点滅さんにまとわりついての舞踏的なケイレンやフィナーレの場面での背面での踊りなど──ところも大きな魅力になっていました。
色鮮やかな衣装をまとった女性たちの生者の世界が、モノクロ一色に塗りつぶされた舞踏家たちの死者の世界にとりこまれていくカタコンベを見るような幕切れも、舞踏ならではの世界観を感じさせました。
アートキュレーター Sumika氏より
ある種神聖に重ねられてきた舞踏の形式に対するアンチテーゼが、このメンバーで踊られたことはシンプルに面白く、メンバー構成から既に振りが効いていた。
作品タイトルにある「喫人」が、舞踏そのものに向けた言葉なのであれば、各々によるカニバリズム(=形式の解体)であったと感じた。
また私は若羽さんたちと作品を作ったことがあるため、単なる鑑賞者というよりも親密な、制作現場の延長線上の視線で観劇した。